福砂屋 カステラ縁起
弊舗は、寛永元年(一六二四年)の創業以来、長崎カステラの製法を永々、家伝継承しております。
寛永の初め頃、日本人とポルトガル人は長崎の街中で親しく交流しておりました。初代福砂屋は、ポルトガル人からカステラづくりを伝えられる契機があったものと思われます。
江戸時代の商標や引札が集められた『諸国板行帖』では、店舗は五代頃まで引地町にありました。
今の船大工町に移転したのは、六代市良次事大助(安永四年乙未卒、一七七五年)のときで、丸山や唐人屋敷も近く、賑わいをみせておりました。
十二代清太郎は、卵に工夫を凝らした特製『五三焼(ごさんやき)カステラ』を創案しました。
十三代為三郎の代には、宮中御買上の栄に浴し、以来各宮家の御用命を多年に亘って受け賜っております。また為三郎は、卵白のみ使用した『白菊』、卵黄のみの
『黄菊』の特製カステラを作り上げました。
十四代史郎の際は、戦中戦後の混乱期にあたりましたが、昭和二十四年、天皇陛下が長崎御臨幸になり、カステラ献上を機に生産を再開いたしました。
昭和二十七年には、東京支店を開設。
昭和五十二年、本社多良見工場を完成。
昭和五十八年には、福岡支店を開設。
平成四年には大村工場を完成。長崎カステラの本家として今日に至っております。
カステラ本家 十六代福砂屋主人 謹白